【雑談】本人を証明するのは本人ではない不思議

ちょっとした雑談というか、考察です。現代社会の不思議だなぁと思ったことを書いていきます。

1. 人間とデータは等価

人間(少なくとも日本国民)は生まれたときからデータと関連付けされています。生まれると出生届によって名前や性別、家族情報などが政府機関に登録されます。この時点で、人間の存在をデータが裏付けることができるので、登録データからその人個人を特定できるようになります。つまり、データによって本人であることを証明することができます。

本人の存在を知っているのは、本人を認知している第三者の存在(家族や友人)であり、赤の他人には存在が認められません。しかし、データベースを検索すれば存在しているのかどうかを確認することはできます。これは「本人がこの世に存在しているかどうか」に関わらず、「政府機関にデータとして登録されていれば」その人が存在していることを認知することができるわけです。

これは「本人とデータが等価な存在である」ということになるのではと個人的に考えています。もっと極端に言えば、この世にヒトという入れ物は必要なくて「その人のデータ」さえあれば社会を動かせてしまうのではないでしょうか。

2. 本人で本人は証明できない

データさえあれば社会を動かせる例として例えば、銀行口座を開設する場合を考えてみます。銀行口座を作りたいと思い、窓口へ行ったとします。作りたいのは明らかに本人ですが、窓口の職員からは「本人を確認できる書類を提出してください」と言われます。この時、ふと思うのが「本人が窓口に来ているのに本人であることが証明できない」ということです。つまり、「本人は本人で証明できない」という面白い現象が見られます。

では、本人が本人である証明をできるものは何でしょうか。例えば、保健証、学生証、運転免許証、マイナンバーカードなどがあります。これらは「本人」ではなく「データ」ですが、これらのどれかを提示できれば本人を証明することができます。ここから言えることは、本人よりもデータの信憑性のほうが高いということです。

もう一つ例を挙げると、例えば子供が銀行口座を作る場合は保護者同伴である必要があります。子供が本人であることを証明するとき、自分で証明証を提示することはほとんどありませんが、保護者がその子の証明証を提出すれば本人確認がなされます。ここで言えることは、「第三者によって本人を証明できる」という点です。つまり、本人のデータを第三者が持っていて、それをその人の本人確認に利用できます。

これらの点から、本人を証明するには本人の存在自体ではなく、データによる証明が必要になります。また、そのデータを第三者が提示することでも本人であることを証明できます。

3. もはやヒトという存在はいらないのか

本人ではなくデータで物事が進んでいくのであれば、「では一体、本人って何なのか」という疑問に行き着きます。結局、本人の存在はどうでもよくて、ただデータがあれば社会を回していくことができるわけです。むしろデータだけで世の中を動かす仕組みが整ったという言い方のほうが正しいのかもしれません。

オンラインミーティングではマイクやカメラを使って参加すると思いますが、これらを通して届くのは本人という存在ではなく、音声と映像というデータです。オンライン授業ではカメラやマイクをオフにして参加できる場合もありますが、出席確認は学生証番号や課題というデータで済ませることができます。仕事をするのにメールやビジネスチャットを使うと思いますが、これも本人という存在は必要なくて、テキストメッセージというデータとログイン情報だけあればいいわけです。

要は本人でなくても、本人に関連付けられたデータさえ残っていれば、それは「存在している」と同義になります。特に授業なんかは第三者が替え玉したとしても、本人の学生証さえ持っていれば出席したことになります。こうしてみると、もはやヒトという存在は必要ないように思えてしまいます。

4. 仮想世界での本人の存在証明

もう一つ面白いのが VTuber という存在です。VTuber の場合は音声と映像で合成された存在ですが、これも「ヒト」とみなして接することができます。言ってしまえばただの「データ」、「情報体」ではあるわけですが、それをヒトとしてみることができている時点で現実の肉体(いわゆる本人)という存在が薄れていきます。つまり本人よりもデータが主体になるわけです。企業案件やコラボをするにしても、本人確認として本人という存在ではなくて VTuber というデータを提出できれば問題ないわけです。これも、本人よりもデータのほうが権限が高い状態であり、データとしての自分が本人を証明するというなんとも面白い構造になります。

VTuber 本人が本人であることを証明するにはどうするかを考えた時、VTuber のキャラと声というデータを示せれば本人として証明ができるのが今の状況です。つまり、本人だけで完結することができます。しかし、社会においては本人が本人を証明するには証明証が必要になるわけで、これは本人だけでは証明ができません。ここの違いが非常に面白いなぁとは思います。別にこれは VTuber に限った話ではなく、ゲームキャラでも同様です。ただ、将来的にNFTやブロックチェーンといった技術が導入されて一意であることを証明してくれるので、仮想世界でのルールも現代社会に近づきつつあります。つまり、仮想世界でも本人を証明するのに本人だけでは不十分になるわけです。

ここで言いたいことは、結局のところ本人という存在を証明するのは本人ではなくてデータなのだということです。これは仮想世界でも現実世界でも変わらないという結論になります。

まとめ

以上、個人的に考えたことです。本人を証明するのは本人ではなくてデータで、これは仮想世界も現実世界も変わりません。だからこそ、「本人という存在はいったい何なのか」という疑問が出てきます。

  • 本人確認に必要なものは本人ではなく、本人のデータ
  • もはやヒトという存在よりもデータが主体の社会になっている